14期生の卒業アルバムから 
 豊中1中14期生は、昭和6年の満州事変から「十五年戦争」と呼ばれる長い戦争の時代が終ろうとする昭和20年4月から戦後の混乱期の昭和21年3月にかけて生まれた人たちです。

昭和20年6月7日、米軍のB 29による初めての豊中空襲。爆弾と焼夷弾による攻撃を受けます。
その後6月15日2回目、6月26日、7月9日、7月22日、7月30日と豊中は6回もの空襲によって多くの人命が奪われ、数多くの家屋が焼失しました。豊中ではこの6回の空襲で580名余りの犠牲者がでました。

彼らにその記憶はないだろうが、彼らを生み育てた親御さんたちにとっては、生きるのが精一杯の時代に子供が授かり、新しい命とともに、必死になって子育てされたこと。また、子供の誕生を待ちながら戦場に赴かれた一兵士としての父親もいただろう。

価値観が一変した戦後の日本を、模索しながら生き抜いてこられた親御さんたちにとって、無事義務教育を終えたことは喜びもひとしおだったことだろう。

このページでは1961年(昭和36年)3月の卒業アルバムから写真を掲載します。

そしてこのページの説明に能登宏之先生の著書「図説豊中空襲」の内容を参照させていただきました。

2022年7月3日 更新
 
この年の校長は太田守先生。校務主任が西川大治先生でした 
 
三階建て校舎の向こうに新館校舎が建てられています。この時の1年生から戦後ベビーブーム世代が入学してきました。教室も先生の数も足らなくなってきた時代。在校生が1000人を超えた時代の豊中1中です。 
 
学級担任の先生方

後列左から浜里先生、有留先生、村上先生、岡忠義先生、前列左から森川先生、吉村先生、奥先生 
 
 
 
 
1組 吉村 弘 先生 
 
 
 
 
 
2組 岡 忠義 先生 
 
 
 
 
 
3組 村上 徹男 先生 
 
 
 
 
 
4組 有留 正彦 先生 
 
 
 
 
 
5組 奥 俊治 先生 
 
 
 
 
 
 6組 森川 誠秀 先生
 
 
 
 
 
 7組 浜里 由紀子 先生
 
 
 
 
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