個人的体験 その三

続々・心筋梗塞体験記

集中治療室での入院生活が始まって、その病室に収容されている患者の様子を観察する精神的余裕が出来るのに、そう時間はかからなかった。

心筋梗塞と言う病気はその発作が治まれば、それまでの苦しみが嘘のように思える。

そして、すぐにでも退院して、歩いてでも家に帰れるように思ってしまう。

しかし、実際は心臓には大きなダメージがあり、当分の間“絶対安静”が余儀なくされる。

したがって、ベッドから起き上がることや歩くことなど、もってのほかである。

しかも、家族以外“面会謝絶”ということになっていて、退屈な毎日が続いた。

毎日の担当医師の回診。三度の食事、採血、検温、血圧測定以外は何もすることがない。

集中治療室には、一般病室のようなテレビもない。

私の視界に入るのは、担当の看護婦さんの仕事ぶりと左右のベッドの患者の存在だけ。

左隣の患者には人工呼吸器が付けられていて、終日機械音だけが聞こえてくる。

そのほかにも患者がいる様子だが、不思議と人の会話が聞こえてこない。

朝になって、窓のカーテンを開けながら、「○○さんおはよう」という看護婦さんの声がするが、それに答える患者の声は聞こえてこない。

身振り手振りで自分の意思を伝えているような気配もない。

三日目になって、ベッドを45度ほど起こしてもらって、ようやく部屋全体が見渡せる状態になった。

この部屋には私を含め6人の患者が収容されていた。

そのなかで意識のある、あるいは意思の疎通が可能な患者は、どうやら私一人のようだ。

私のベッドから一番遠いベッドで寝ている患者は、まだ若く30歳代半ばくらいの男性。

食事も自力では摂れず、ベッドを起こした状態で流動食をスプーンで流し込まれているのが見える。

それ以外の患者は上半身をカーテンで仕切られていて、表情は確認できないが、看護婦さんの所作で、それらの患者たちと意思の疎通がないことはすぐ判断できた。

このようななかでの入院四日目の深夜、病室内の何やら慌ただしい動きで目が醒めた。

数人の看護婦さんが病室を出たり入ったり。そしてさかんに「○○さん!○○さん」と者の名前を呼んでいる。その患者は私の右隣のベッドの患者である。

右隣の患者については年恰好は判断できないが、ほぼ毎日夜遅くなってから背広姿の男性が訪れてきて、看護婦さんとなにやら二言三言会話を交わして帰っていくのを見ていた。

背広姿の男性が、仮に患者の息子であれば患者は70歳代半ばくらいか。

私が見てきた限りでは、食事を摂っている様子がなかったので、おそらく意識の無い重篤な患者だったようである。

看護婦さんたちの動きで、患者の容態が急変した事が理解できた。

私のベッドから僅か1メートルほどのところでの看護婦さんたちの動作は緊迫したものだった。

そのうちの一人がベッドに這い上がると、患者に馬乗りになって心臓マッサージをはじめた。

白衣の裾が捲くれて太腿が露わになっているのも構わず、必死の救命作業に、見ていて思わず体が硬直した。見てはいけないものを見ているようで、顔は天井に向けてはいるものの、目は右隣のベッドの様子に釘付けになった。

心臓マッサージを始めて15分か20分程して医師が現われた。医師は患者の容態を見て、心臓マッサージの看護婦に何やら告げて作業を停止した。またしばらくして、別の看護婦に導かれて患者の家族たちが入ってきた。

その中に、いつもの男性の普段着姿で医師の説明を受けている姿が見えた。

ここで、私のベッドと隣のベッドを仕切るカーテンが引かれ、視界が遮られた。

患者の家族は5人。カーテン越しにも影絵となって、その仕草は見て取れる。

小学生と中学生くらいの子供二人も。

医師の説明が終わった後、家族の嗚咽が聞こえてきた。

子供の「お爺ちゃん」と言う涙声で、患者が老人男性である事が判った。

家族が引き上げてからも、ベッドの横では人の出入りが激しく、小声で交わす言葉も返って耳に障る。寝付かれない。

一時間ほど経ったであろうか、カーテンが開いた。

「ごめんなさいね、眠れなかったでしょ」と言ったのは主任看護婦のYさんだった。

あの馬乗りになって心臓マッサージをしていたのが彼女だった。物腰の柔らかな清楚な美人のYさん。ついさっきまでの、懸命の心臓マッサージの彼女とは思えない穏やかな表情。

私は「大変でしたね」と、言うのが精一杯だった。

そして、そこにはさっきまでの患者の姿はなく、むき出しのベッドがあるだけだった。

意識があったのか、なかったのか知る由もないが、ついさっきまでそこには確実に生きている人間が存在していたのだ。

おそらくベッドにはその温もりがまだ残っているだろう。

ごく当たり前のように事務的に処理されて、何もなかったかのような朝を迎えた。

全くの赤の他人ではあるが、一人の人間の臨終を目の当たりにしたことは、病床に有る今の自分の存在を否応なく、過剰に意識せざるを得ない心境に導いた。

いずれ間違いなく自分にも死が訪れる時が来る。そして、自分の(むくろ)が事務的に片付けられて、何も無かったかのような朝が明けるのだろう。

あのとき、命が助かったことは自分にとってなんだったのだろう。

自分の生存そのものになにか大きな意味合いがあったのだろうか、それとも単なる死という現実の先送りに過ぎないのか。

そして何よりも、自分のこの意識と魂は何処へ行くのだろう。

物心ついた幼い頃からすーっと持ち続け、自分だけのものであり続けたこの意識と魂は。

たとえ親子でも、夫婦でも入り込むことが出来ない心の中。その“タマシイ”の存在が、死を迎えることでどうなるのだろう。

朝食が運ばれてくるまで、この問題が頭の中をグルグル回り続けた。

この2日あとには、空いたベッドにまた新たな患者が収容された。

私と同じ急性心筋梗塞の発作が起きて救急車で搬送されてきた40歳の男性。

この男性とは一般病棟も同室で、約一ヶ月間をともに過ごすことになる。

そして、このとき集中治療室に収容されていた6人の患者のうち、無事退院できたのは彼と私の二人だけだった。

2005年5月13日