昭和30年代の「お稚児さん」他・・・

森田佐登美さんと辻田益久さんのアルバムから
 このホームページをご覧頂いている勝部出身の「森田佐登美」さんからご提供いただいた昭和30年代の写真を中心にページを作りました。

2012年2月15日更新

 
 原田神社では毎年春先に「春祭ー稚児祭り」として、地域の氏子の子供たちを祝う行事があります。いつ頃から始められた行事か定かではありませんが、100年以上続けられてきたことは間違いありません。「箕面有馬電気軌道(現阪急電車)」が明治43年の開業と同時に発行した沿線の「名勝御案内」という小冊子の中で、「岡町停留場」の案内ページには「原田神社」が紹介され、その中にも「二月二十日には稚児盛装して黎行し・・・」という記述があります。この「稚児祭り」「稚児行列」という祭事は子供の成長を祝う儀式として全国のお寺や神社で広く行われている年中行事です。
 
 
 小冊子「名勝御案内」の見開きには開業当時の路線と運賃が記載されています。駅の数も現在の「宝塚線」とは違っています。「三國」、「服部」、「岡町」、「石橋」と駅の間隔はかなりの距離で、当時は沿線に住む人も少なく、広大な田園地帯が広がっていたことが伺えます。そして、当時は「梅田」を「むめだ」と仮名表記されていました。
 
 「服部停留所」と「岡町停留場」の案内。
 
 (上)「岡町停留場」の案内ページには原田神社を紹介しています。この案内のページには「二月二十日には稚児盛装して黎行し・・・」と記されているように明治時代までは2月20日に行事が催されていました。
 
 昭和34年3月18日提供者ご本人の稚児盛装。 写真にマウスを合わせてください。
 
 
 
 時期は少し異なりますが原田神社本殿前で盛装した「石橋和子さん」と「稲津さとし」さん。
 
 
 (上)昭和35年8月25日。地蔵盆で近所の子供たちと浴衣姿で・・・。
この「地蔵盆」は子供の守り神である「地蔵菩薩」の縁日に子供の無事と成長を願う行事で、毎年夏休みの終わる頃に行われる。その昔、医療技術や予防医学が発達していなかった時代は、乳幼児の死亡率が高く、産まれて5歳まで生き延びる子供は少なかったと言われている。そいう意味でも「稚児祭り」とその成り立ちの違いはあるけれど、我が子に対する親の切なる思いがこめられた行事でもある。

 
 (上)集団登校の朝、一緒に登校する近所のお友達。今井町子さん、石橋多美子さん、石橋和子さんと森田佐登美さん。
 
 (上)昭和45年頃。大阪国際空港(伊丹飛行場)の拡張に伴い、騒音公害問題が急浮上してきた頃、マスコミ各社が一斉にこの問題を取り上げはじめた。写真はある新聞社の取材で、飛行機の騒音でテレビ放送の音声が聞こえにくいという住民の訴えを新聞に載せるためのものである。千里川の堤防に近い森田さんの家がたまたま取材の対象となり、母親と妹が被写体になって新聞に載った。これにより、翌昭和46年に地元自治体と運輸省(当時)との間で「騒音対策」が協議され、その結果、地域住民のNHK受信料の減免措置が講じられることになる。
 
 
 原田校区運動会:昭和61年・原田小学校校庭にて
原田小学校の校区「岡町」、「曽根」、「原田」、「勝部」の地域住民が集まって毎年秋に行われる運動会。すでに嫁がれて勝部を離れられた佐登美さんに参加要請があり「障害物リレー」に出場。気持ちは「前へ前へ」と必死なのですが、足の方がついて行かなくて・・・。見るには楽しい映像です・・・。
 
ここから下の2枚の写真は同級生辻田益久さんの稚児装束。昭和30年ころ