絵地図で見る昭和30年代の勝部の風景
昭和30年代は勝部の村にとって激動の時代でした。特に昭和45年(1970年)開催予定の大阪万博に向けて、大阪空港の拡張工事、阪神高速道路池田線の開通など大規模開発が予定されていて、すでに昭和30年代後半から用地買収が始まります。
時代は日本の高度経済成長期。都市部に人口が集中しはじめて、大阪市内などの企業に勤務するサラリーマンたちのベッドタウンとして豊中市も急激に人口が増加しました。庄内地区では多くの農地が宅地化されアパートや文化住宅を建設。昭和30年代後期にはすでに飽和状態にありました。
こうした時勢の影響は勝部の村にも押し寄せてきて、新しい住民の流入がはじまります。専業農家や兼業農家中心の村に新しい純然たるサラリーマン家庭が入ってきた時代でした。
このような時代を地図にして表したのがこのページです。大阪空港が拡張される以前のすがた。阪神高速道路が開通する以前の風景。千里川の流れが戦前のままの姿を残していたころの懐かしい姿を地図に表してみました。

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2016年5月15日 更新
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地図のページについてのおことわり

ここに掲載した地図は、昭和30年代半ば頃の勝部の村を回想して作ったものです。
それぞれ家々の大きさや屋敷の広さなどは当時の実際のものとは異なります。この地図の趣旨はどんな人がどの場所に住んでいたかを表したもので、当時そこに住んでいた人の名前から、顔や人物像を思い出し、一時(いっとき)現実を離れて、懐かしい想いに浸り、ふる里勝部で過ごした日々のことを思い出すことを想定して作ったものです。従って、当時そこに住んでいた人の過去をあばいたり中傷したりすることを目的としたものではありません。
また、記述した氏名は当時の世帯主を主に表記しています。住民の入れ替わりの激しい時代でもあり、実際の過去の事実とは多少異なる記述もあるかと思いますが、製作者自身の記憶だけでなく、当時の資料も参考にして記述しております。
ただ、製作者の思い違いや、元の資料そのものに誤りが無いとは言い切れません。その点につきましては、誤りをご指摘いただきましたら訂正することにやぶさかではありません。

尚、「個人情報保護」の観点から、氏名を表記することについて問題視される向きもあろうかと思いますが、すでに半世紀以上もの時の流れを経過していることを鑑み、歴史的資料価値に重きを考え、掲載いたしました事をご了承ください。


地図作成に使用した参考資料
住宅協会出版部発行「豊中市住宅地図南部版 1963年」
吉田地図(梶j発行  「豊中市住宅地図南部版 1966年」
大阪人文社発行 「大阪府都市計画地図集」 1967年
辻村乕一製作 「勝部住民名簿」昭和36年、昭和38年
そのほか勝部にお住まいだった方々のご意見ご協力を得て作り上げたことも付け加えておきます。

製作管理者 辻村 佐兵衛