思い出アルバム・豊中一中時代

一年生の頃のアルバム

豊中第一中学校に入学した昭和36年(1961年)という年は、アメリカの35代大統領に43歳のケネディーが就任。ソ連が世界初の有人宇宙衛星の打ち上げに成功。宇宙飛行士ガガーリンの『地球は青かった』という言葉が一躍有名になる。当時の東ドイツが東西ベルリンの間に壁を構築したのもこの年。国内の世相では、NHKテレビのバラエティ番組『夢であいましょう』が放送開始。この番組の中から、坂本九の歌った『上を向いて歩こう』が大ヒット。その他にも『スーダラ節』、『東京ドドンパ娘』『王将』などがヒットした。物価では国鉄(当時)の初乗り運賃が10円、葉書が5円、新聞の月極め購読料が390円、ちなみに当時の大卒初任給は14800円という時代だった。
私たちは真新しい制服に身を包み、中学生として新たな世界へ歩みだした。そこには小学生時代には無かった英語の学習、教科ごとに先生が入れ替わる授業、様々なクラブ活動、そして何よりも今までと違った地域から来る生徒たちとの触れ合い。何もかもが新鮮な雰囲気に包まれていた。

2007年4月20日更新  2008年7月2日資料追加更新
私たちが入学した昭和36年は、創立15周年に当たる年であった。記念品として生徒一人ひとりに校章の入った”手拭い”が配られた。(写真上) 豊中一中の校章はペン先をデザインしたもの。この”ペン先”も今では殆ど見なくなってしまった。
入学と同時に配られたものに「生徒手帳」があった。その中の「生徒心得」には礼儀や服装などこと細かに校則が書かれてあった。制服のズボンのすそ巾は20センチ以上と決められている。これはこの当時巷ではロカビリーの全盛期。テレビの普及に伴い若い歌手やテレビタレントらが身に着けていたマンボズボンを真似て、制服のすそ巾を狭くする生徒が出てきたことに対する規制であった。
新一年生になった4月のクラスごとの集合写真、まだあどけなさが残る顔。

一学期の遠足の写真だが、いつどこへ行ったのかは全く記憶に無い。
昭和36年11月2日。一年生の秋の遠足は神戸市の須磨水族館
まだそれぞれ顔は小学生の表情を残していた
伊藤君の一年生時代、蓬莱峡へハイキングに行ったときの写真。まだあどけない顔
飯ごうのご飯を頬張るのは木村君。福山君の顔も

この時代のテレビ番組です