時の流れの中で・・・勝部の中の歴史

A 続・「伊勢講勘定帳」に見る勝部村庶民生活誌
明治23年の伊勢講勘定帳には『伊勢講同盟録』というものが一緒に綴られている。村人の中で比較的裕福な数軒がグループを形成して、従来の講中組織の運営を明確にし、相互の信頼と協力関係を強化する目的で、新たに規約を明文化したものであろう。時代はこの前年、明治22年(1889)2月11日の紀元節に、帝国憲法(明治憲法)発布の式典が宮中で挙行された。日本が明治維新の動乱から20年、近代国家へと歩み始めた時代である。
2007年5月19日更新
緒言(前書き)には同盟の設立主旨が唱えられ、一条、二条と二つの条文が明記されている。内容としては、運営上の約束事と様々な戒めの言葉が並べられている。当時の政府が推し進めた神社信仰と神道国教政策の影響が反映されたもののようにも思える。
「伊勢講同盟」が結成された翌年の初会の顔ぶれ。九名の名前が記されている。当時の村の役割を担った中心的な存在だったのであろう。この当時勝部の人口がどれほどの数だったか知ることは出来ないが、明治初年、勝部の戸数(世帯数)が57戸だったという記録はある。
下の書付は明治41年の領収証である。「中西文雅堂」という表具屋が、勝部の講中に宛てた表具の仕立て代金の受取りである。伊勢講勘定帳の中に挟んであったもの。「大神宮様御表具仕立代 壱幅」と記されているのは、その昔神明橋西詰めの北側にあったとされる、古勝部神明社の社殿の修復に係わった記録ではないかと思う。
平成のお伊勢参り
2006年10月8日秋晴れの中、45年ぶりに伊勢参りをして来ました。45年前とは小学校6年生の修学旅行。あの当時から今でも小学校の修学旅行といえば、「伊勢参り」が定番だった。泊まった宿は二見が浦近くの「浅野旅館」だったと、かすかな記憶を辿り、地元の旅行案内で聞くと、今もその旅館は存在しているとのこと。天候に恵まれて参拝客も多く、「おかげ横丁」はごった返す人の群れ。その「おかげ横丁」で見つけたのが『参宮歴史館・おかげ座』昔の伊勢参りの様子をジオラマで紹介する施設。昔も今と変わらない賑わいの様子が描かれている。
大勢の参拝客で賑わう「おかげ横丁」(写真下)
『参宮歴史館・おかげ座』の館内(写真下)。江戸時代の参道の賑わいをジオラマで再現している。
当時の遊郭で遊ぶお大尽の様子も再現