2016年 原田神社 秋祭り
2016年10月9日、5年ぶりに原田神社の秋祭り(秋季大祭)に行きました。
神社(氏神)と氏子の協力関係が長年にわたって維持されてきたことが、毎年このようににぎやかなイベントとして続いている。こうした催しは、地域の発展に寄与するということだけでなく、この祭りに参加した地域の人々、祭りを見物しにくる人々にとって、かけがえのない記憶遺産であるといえます。ただ、祭りの賑やかさに比べ、地元商店街の活気が薄れてきていることに一抹の寂しさを感じた次第です。

2016年 10月 13日 更新
神輿やだんじりの宮入を控えひっそりしている夕方の神社境内
夜店の出店軒数もいつもと変わらず
この日が日曜日だからなのか、ほとんどの店がシャッターを下ろしている。祭りの賑わいに比べ商店街の静けさが対照的だった。
「岡山」という地域名は現在すでに無く、今の「南桜塚」辺りにあった昔の村の名称。下の明治時代の地図には「岡山村」の表記がある。
「宮入」に向けて各地域から神輿、だんじり、布団太鼓が続々と商店街に集結してくる。
下の動画は商店街を練り歩く神輿、布団太鼓を撮影したものです。華やかな「ギャル神輿」の存在は祭りに欠かすことのできないものになってきました。
下の地図は明治18年発行の地図です。「箕面有馬電気軌道=(現阪急電車)」が開通する25年前の地域を描いています。原田神社(原田社)を囲むように桜塚村、岡町村、山之上村、走井村、勝部村、原田村、岡山村の各氏子の集落が描かれています。そして、ぽつんと離れたところに上津島村があります。「能勢街道」沿いを見ますと、現在の「大門公園」が溜池「大門池」だったことが分かります。南へ下ると「服部村」が「天神社=服部天神」の周りをまばらに集落が点在していたことが分かります。また、勝部村の北側=(昭和30年代には「錯雑地」だった)が桜塚村の土地だったことが記されています。現在の勝部3丁目1〜6辺りでしょうか・・・。