10日えびすで賑わう服部天神

服部と言う地名は帰化人集団である秦氏が、五世紀半ば允恭天皇の時代に織部司に任ぜられ、当地を服部連の本拠として集住したのが始まりで、彼らが祀っていた祠が、後に菅原道真伝説と結び付き、今日の「服部天神宮」に至ったと伝えられている。多くの露天が並ぶ参道は旧能勢街道
能勢街道は大坂中津を基点として、十三、小曽根、服部、岡町、石橋、池田、木部、古江、多田、一の鳥居を経て妙見山に至る古くから大阪の主要な街道として栄え、池田や能勢で産する酒、木材、炭などがこの街道を通って大阪へ運ばれ、更には能勢の奥に続く丹波国から、米、栗、銀、銅などの搬出路でもあった。街道筋は服部天神のほか多田神社、原田神社、萩の寺、中山寺、勝尾寺などの参拝路としても賑わいを見せた。上方落語の古典「池田の猪買い」にも登場する。