2012年夏・勝部地区恒例墓地清掃
今年も恒例の夏の墓掃除の日がやってきました。3年前から進められてきた「無縁墓地」の整理も大方片付いて、墓地内はすっきりと整備され、新たな区画もできていた。ただ、年々清掃に参加する人も少なくなり、殆どが勝部に住んでいる人や、近隣に住んでいる人たちのボランティア活動で、辛うじてこの行事が維持されていることに不安は残る。『墓参りには来るが、墓掃除までは・・・』という人が多いようである。直接管理されている地元の町会役員の高齢化も進んでいる。これらの活動に積極的な参加ならびにそれぞれができる協力を望みたいものだ。

2012年8月8日 更新
一年の中で最も暑い季節。地元の人たちは朝早くから清掃作業をはじめて、日が高くならないうちに済まされている。
朝8時過ぎには大方の清掃は終わって、早々に帰っていく人も・・・。
昔は雑草に覆われていた墓地も、整備が行き届いて掃除も楽になった。
勝部に新たな変化の兆し・・・。

「大阪国際空港(伊丹空港)」の拡張が昭和40年代。その後の40年間で勝部の村は激変。騒音問題などで住民の移転による過疎化が進んで、村の中もフェンスで囲われた空き地が目立っていたが、ここにきて新たな変化が起きている。それは新規の住宅の建設である。かつて「ジャム工場」があった場所に建売住宅の建設が始まっている。「勝部センター」隣の一角に「好評分譲中」の幟がはためいている。すでに入居した住戸もあり、まだこれから建設する予定の区画も・・・。これは「関西国際空港」と「伊丹空港」の経営統合、さらには「伊丹廃港」を想定した流れの予兆であるのかも・・・。
何はともあれ勝部の過疎化が止まって、地域の活性化が進むことは何よりである。
もう一つの変化。
かつて幼い頃、勝部で育った子供たちの誰もが遊んだことのある場所、「お寺」。通称「お寺」と呼ばれて親しまれてきた「説教場」がなくなる。「勝部センター」が出来て以来、村の集会場、公民館としての役割を終えた「お寺」がいよいよ無くなることになった。
門の入口左には「精米所」があった。右隣には「火の見矢倉(半鐘台)」が。
中庭で「石けり」「ビー玉」「ゴムとび」などして遊んだ懐かしい場所が姿を消すことになった。残念ながら門の中に入ることは出来なかったが、せめてもの名残にカメラに収めた。
そして久しぶりに、かつて「神明橋」のあった場所から今の様子をカメラに収めた。